昭和43年01月21日 朝の御理解



 御理解 第89節
 「此方の道は笠一本で開くことが出来る。」

 此方の道は笠一本で開く事が出来ると言う道です。
 (以下3分間くらい聞き取れない)




 どの様な難儀な問題でも、言わば(          ?          )
みやすう氏子から難しゅうする。みやすう(   ?   )傘一本で開かせて頂ける
(   ?    )(   ?    )(   ?    )(   ?   )
(   ?    )(   ?    )(   ?    )(   ?   )
 ある時に金光様に、ある御信者がお伺いした。御本部にお参りして、金光様の前に姿勢を正して、お取次ぎを願う。
 ( ? )それに例えばもうそれこそ神様と氏子との取次ぎの( ? )( ? )( ? )私しの心の中にもう普通では思いもしない様な、汚い心が                神様とのめぐりのお取り払いでございます。
 本当に矢張り人間だと、その人間が神に向こうていく所の、( ? )( ? )もうむしろ私共の( ? )ものの中の方がかえって魚が住むんだと( ? )( ? )あまんじて一生を終る。っけれども( ? )( ? )( ? )我情我欲が心の中に渦巻いておる。ですからそれを、そのままが神様に持って行けれる( ? )こんな事はお願いしちゃならん、こんなことはおかしいと言う事はない。
 せきららに( ? )ければ( ? )ない。御祈念をさせて頂いて、これは( ? )( ? )( ? )それを私共、神様ぁとこう、神様との折角( ? )と交流しようとするものを、自分で( ? )一周間くらい前までは( ? )一週間くらいはですね。その芝居の幻に悩まされ、ご信心で( ? )お芝居の場面ばっかりご心眼に( ? )私あの頃は非常にあの、私しがお芝居を見ると一週間ぐらいは、ずうっと続いてお芝居の御理解を頂かなければならない。
 芝居、芝居の事ばぁっかり心にあると言う様な事でですね。おかげを受けられんちゅう事ではない。( ? )あれば唄おうこれば唄おうと思いよるばって中々その思い出さん。帰って来てから、いや( ? )御祈念しよるとあげな歌もうたやよかった、こげな( ? )歌のその様々知っておる限りの歌が、( ? )どういう時代の( ? )( ? )其のままで良い、けれどもそれを( ? )一度そう言う様な中にあって、( ? )( ? )。
 そういう中にあってこれをすぐおかげ、なるほど信心はみやすいものだけれどもね。私共が私共の心でそれを( ? )( ? )( ? )( ? )本当に御信心に( ? )こう言う様な心がむらむらと( ? )御神前でも思わん様な事が起る只今巡りのお取り払いを頂有難う御座いますと言うたらおかげになる。はぁ私しゃつまらん。私しゃだめ、こげな心が( ? )おかげを頂いて巡りのお取り払いを頂いてお有り難うございます。
 私の心の中にこげな我情我欲が( ? )私しゃこんな我情我欲を、( ? )そう思うとおかげが受けられん。こあれが私しの( ? )ばっかりでございますと神様に( ? )( ? )( ? )私しが10年と今日と思うて見ますと( ? )( ? )( ? )もう本当に、そうですね。帰って来て忘れてしもうた。もう覚えんごたる( ? )やはり( ? )。
 もう被害あげんせんかこげんせんか一々思い出さんならんくらい。そこんところをやはり( ? )( ? )おかげ頂かして頂いたら、( ? )そして( ? )そのめぼりが段々これはやっぱ( ? )我情我欲一杯だからこそ、そのお花も事が出来る( ? )もできる。自分が本当に( ? )ばっかりがここにある事が分るからいよいよ自分が猛反省する事に( ? )( ? )( ? )( ? )( ? )。
 なるほどみやすく、例えば今日( ? )第一( ? )になる事が、これこれが信心受けられなければ( ? )( ? )そういう事ではない( ? )もうその身そのままで助かられるという( ? )こういう水の泡が5年も10年も続いとったではおかげにならん、私しが数年前、( ? )私しの心がそれこそ御信心に向って なぁんにもななければどそれにむかって、( ? )。
 ほんとにカリスマときょうくせいほうじと言った様な、この様にお得意ではないのだけれどもやはり信心の、( ? )勿論これの御理解の神意と言うものは、本当はあろうかと思います。( ? )( ? )( ? )ところが皆さん蔵というのは安心。どんなに( ? )でありましても。心の中に安心があるでしょう。信心んを使い廻ししなければ( ? )笠を持っておる安心を持っている。お取次ぎを頂いとるから安心だ。どういう我情我欲の事でも、御願いをさせて頂き、神様にお任せする心があんしん。
 ですから安心、大安心のおおみかげを持つと言う事になると、もうこりゃもう大変な難しい、いわゆる安心です。けれども( ? )本当にめぐりの中にあっても安心が出けれる。私の心の中にはこういう、汚いものがお供え( ? )おかげが頂かれんと言う様な所に不安がある。いやお願いしとるけどおかげが受けられん。( ? )( ? )そこんところをめぐりのお取り払いを頂いて。これが私の本当の正体なのでございますからもうしかたがないのです。
 神様どうぞこの身このままおかげを頂かして下さい。というそれが。よっしゃ引き受けたと言うお取次ぎを頂く時に。そういう感じなんです。そこにおかげが受けられる。そこに( ? )事実が( ? )こういう私しにもこう言う様なおかげが受けられるということになる。いつもいわゆる笠一本で開ける道でも、傘を持たなければいけない。例えば10年も信心をしなければ傘が開けないと言ったことが( ? )開いておりますと分ります。御理解を、お取次ぎを願う。
 そこに不安のない事、そういうこういう汚い心のままで、神様が引き受けて下さるだけに。それでそれが其のままであってはならないのだけれども。神様がしむけてて下さった、神様がおっしゃって下さった、そこにおかげ頂くには違いない、おかげになるに違いない、おまかせしてあるのだからという、これが( ? )( ? )( ? )きのう久留米の( ? )お届けに参って来まして、おかげ頂きましたぁというわけですね。それこそ涙声で、親先生おかげを頂きました。
 ついこの頃までは本当に神様の働きを50%しか、いうなら1万円のものは5千円は、神様の御物、後5千円は私のものという思いでございましたけれど。おかげを頂まして不動の体制に寄りまして。どう計算しても80%は他力に寄らなければならない事が分って参りました。前にもこんな事があった。その前の日に( ? )建設の方がいろんなちょっとおかしなことが、いわば不良がかった子供たちを預かる( ? )とてもとても使い様がないから、使いてがないから( ? )ところに( ? )。
 自分の( ? )あれやらこれやら( ? )自動車の中に待っとるおかげを頂いてから( ? )のが前の前の日だった。それでその翌日どこか佐賀の方へ荷物を積んだり降ろしたりしているうちに居なくなった。どこか佐賀の町でも。はっと思い当る事があったから、自動車の中の組合の( ? )のを。神様私しに( ? )神様あなたのお金を持って行きますと言うつもりだった。だからおかげを頂くよって私しが思いもしました。
 ですからどうぞあれを使い果たしたころには、( ? )ないようにおかげを頂きますように。ところが( ? )( ? )( ? )それで私しが( ? )家に母親たち( ? )( ? )( ? )ずうっと後を着けてきた人が二人おった。ところがそのその会社の前でうろうろしておるから、やっぱりこりゃ( ? )中に入って( ? )( ? )ばってんどうもおかしいからうろうろしていなかったら( ? )いったところが( ? )。
 出て来とったさぁおかげを頂いてまぁもう先生( ? )神様の働き80%働いて貰わなければ、重荷が( ? )お届をされる。こういう時もう安心の傘をもって( ? )( ? )そうしてその事を通して解らせられたり、今まで50%の神様、いまは80%の神様( ? )補償をもって一日の( ? )( ? )
 私はあての信心がすばらしい、それを言うなら切実にお取次ぎを願う。せきららにもむ帰りには安心の傘を持って行かれる。傘一本で開かれる道かなということがわかるでしょう。しんでもありね。ここは皆さんの( ? )絶対になる。あの人は仏様のような人だ、神様のような人じゃと言うても、( ? )( ? )信心しておかげを受けるのは別物じゃと、ならどういうところが別物かと言うと。そのお取次ぎを頂いてお願いをするところに、縁側に居ても汚れの間にいても。
 心にそうした安心が生まれる。心の中にゆとりが出来る。先生があぁ仰って頂いたばってん。そう言う訳には行かんという、運転じゃったらこれはもう信心のあろうもなかも同じ事になる。そこん所をです私しは。お取次ぎを願わせて頂いたら。それは本当にみやすいものじゃと仰るが、本当にみやすいのである。そういうふうに自分の心の中にもうこの身このままがです。神様にびにいり楽にならならこれで良いとは思いませんと言うそれから組まれてくる。
 是を例えば放任するなればそれは我儘であり、いよいよ位置を買う事になるから、皆んなおかげをうける。それに本気で取り組ませて頂く、取り組ませて頂きながらも倒れ転びしてまた失敗しました。までもまた失敗しましたでもいいのです。また失敗したといって( ? )( ? )じゃない、素直にその詫びるところにおかげの受けれれるものがある。
 私の( ? )こういう心の状態では言うことはないと言う事を、解らして貰うと( ? )っと信心は難しいもの( ? )じゃないそこのところのきゃ、笠一本で開ける。だからいつまでもどの様なものにでも。お取次ぎを頂いたら。その傘を一本持って帰れるような状態をです。願わなくてはならないと言う事がわかります。そこから傘一本で開ける道が必ず生まれて来る。というて自分の心の中にある( ? )( ? )にして信心辛抱改まりが第一( ? )( ? )。
 御神前にその事を御願いして( ? )それにはです( ? )根本的なところから私共が( ? )それがまぁ私の体験と言うなら10年前までは、1週間くらい頭の中に、この芝居の( ? )目をつぶればもう芝居の場面がちゃんと出て来る。それでもその中にお芝居の場面が出て来るなら、私もそれで助かる。せれがなら( ? )なにがするか解らんけれどもです。
 だんだんだんだんとおかげを頂かしてもろうて、御神前に柏手して向こうたからはです。もうそれこそ一信たりとも。それこそ一心不乱に( ? )自分の心にあたらず( ? )( ? )このままお引き取り頂いても結構だとと言った様な有り難いものが、いろんなものが( ? )殺すように有り難い、ですからそういう境地を目指さなければなりません。ラジオからでは絶対あれからはおかげを頂かれんと言った。
 此方は傘一本で開かれるみちという御理解。いつも大変難しい。いわゆる( ? )道と言った様な( ? )心の( ? )今日はみやすう 我情我欲が今日は一杯あるからおかげを頂かれんと言う事はない。此方は傘一本で開かれる道。日本の、大変難しゅう目が開いてて失明と言った様などこ行ったって不自由することはない。今日はみやすう。実猟区を出すために( ? )ここに安心感がある。
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